もしも本田宗一郎氏が木材市場を運営したら

日本は森林国家として知られています。
2018年は第二四半期の木材関係の輸出が465億円と21世紀以降の四半期で最高額を記録しています。
高度な技術が導入されたことで林業の世界にも若者が戻りつつあります。
木材市場に目を向けると、運営には様々な問題があるのがわかります。
もし本田宗一郎が日本の木材市場を運営したら、今よりも合理的な運営を行っていたと予測できます。
本田宗一郎は日本を代表する経営者のひとりで、本田技研工業の創業者です。
多くのエピソードを残す本田宗一郎は、過去の習慣や因習に全くとらわれない豪放磊落な人柄で知られます。
自動車の修理工として働き始めた宗一郎は、学閥を中心とした日本的な社会制度とは別の世界で事業を拡大します。
本田技研工業は1948年に株式会社になると本格的なオートバイを完成して販売を始めます。
10年後には日本でトップクラスのオートバイメーカーになり、アメリカでもホンダ製のオートバイが販売され人気を集めます。
本田宗一郎は1906年に静岡県の小さな村に生まれます。
父親は鍛冶職人で、宗一郎は教育をあまり受けずに仕事を探すために東京に出ます。
自動車の修理工場で修理工として働き、その後は故郷に帰って22歳で自動車の修理工場を始めることになります。
自動車に対する深い思いがあり、レースにも熱を入れるようになった宗一郎は平均時速の新記録もつくっています。
レース中に大事故を起こして骨折したこともありましたが、レースを続けながら仕事にも精力的に取り組みます。
卒業証書は役に立たないと考えていた宗一郎は日本的な学閥というシステムから距離を置いて大成功を収めます。
木材市場の世界も過去の習慣や因習にとらわれている部分があります。
もし本田宗一郎が今も健在で木材市場のトップとして運営をしたら、活気ある充実した木材市場になっていた可能性は大です。
技術革新が進んで木材市場にも新しい風が吹いているので、本田宗一郎のような人材が求められています。