天皇制と木材市場の関係について

日本において人間生活と森林・木材は切っても切れない密接な関係にあります。温暖湿潤気候に属する日本列島は草木が発育するのに好条件であり、多種多様な植生がつくられ大部分が森に覆われる国となっています。古くから日本人は森を大切に扱っていました。住居や日用品、燃料に木材が使われ、果実やクリなど食糧を得ることにも使われます。西欧では住居は石造りですが、日本では平地が少なく住宅地のすぐそばに山林が迫る環境や草木がすぐに育つ気候で森林が維持されることが、木材で住居を作る文化を育んでいったのでしょう。
縄文時代〜弥生時代に各地域で集落(クニ)が造られ発展していき、古墳時代〜飛鳥時代にはそれぞれの地域で有力者が生まれ集落を支配・統一していく過程がありました。その中心となるのが「天皇」であり(飛鳥時代以前は大王(おおきみ)でした)、天皇を中心とした都造りがなされます。縄文・弥生時代の集落では住居や倉庫など生活に必要な建物の建設がメインでしたが、飛鳥時代には天皇の住まう宮殿や仏教の寺院など天皇制を誇示する権威や仏教の威厳を示すための建築物が建てられるようになります。これら大規模な建築物には多くの木材が必要であり、都のそばに木材市場がなければなりません。
飛鳥地方は周囲を森林に囲まれており、森林と運搬するための河川が確保できる地域であると言えます。しかし、この時代は天皇が崩御すると都ごと捨ててしまい、新たに都を造営するという文化でした。人生の長さを考えると、30〜40年に一度の割合で都が変わるということですので、森林の発達スピードと伐採可能な木材の量を考えると有用木材が枯渇してしまいます。676年には飛鳥川上流の南淵山・細川山の森林伐採を禁止する命令が日本で初めて出された記録があります。それだけ森林荒廃が進んでいたという証拠でしょう。
その後都の遷移の伝統を改めるべく、永久遷都のはじまりとして平城京が造られました。奈良の周囲だけでなく湖南地方(滋賀)・伊賀地方(三重)・丹波地方(兵庫)からも木材が集積されましたが、木材供給も奈良滅亡の原因の一つとして京都・平安京の遷都に繋がりました。